「ドームハウス愛媛」

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いよいよお盆の入りですね。

今日は、家族と一緒にお墓参りに行ってきました。

日曜日ということもあって、お参りの方も多く、真新しいシキビがそこかしこに

お供えされていました。

昔から変わらない日本のお盆の風景に何やらほっとするものを感じる1日でした。

 

「お盆の木陰」2009.8.2

はい、どっとこむばんは(=^o^=)やまねこどす。

いよいよお盆が近づき、盆帰りのシーズンですね。やまねこは、お墓の仕事が忙しくなります。

普段はスローリビングな毎日なのですが、年末とお盆はお墓が忙しいのです。皆様がのんびり過ごす頃に多忙きわまりない因果な仕事のやまねこです。

お盆と言うのは都会で働く多くの方々が、ふるさとに帰り、実家の家族と共に過ごしてお墓参りや血族の親睦を深める時期ということなのです。わたしたち日本人は、お盆とお正月は親族・血族と過ごして、お墓参りをしてお供え物をして、ご先祖様や死者のためにお祈りをする期間と考えています。

これは、とても美しい習慣です。以前、書いたようにこの世を去った方々は、この世よりも安らかで楽しい世界に旅立っているがゆえに誰もこちらに帰ってこず、愛する親族を見守りながら、みんなとの再会を待っているのだということです。

わたしたちが死へと趣くのは、安らかで楽しい世界・・・彼岸と呼ばれる場所へ導かれているということです。しかし、多くの人は死に怯えます。この世しかないと思っているためです。

果たしてあの世があるのか、ないのか? 帰ってきた人がない以上、「わからない」という答えも道理ですね。

しかし、人はこのように考えることもできるでしょう。

あの世がもし無かったとしても、いいのです。あの世がなければ、あの世があるかないか悩むわたしもいないのです。わたしがいない無の世界に悩みはないでしょう。

また、あの世があってもいいのです。あの世があればあの世に応じて自らをこの世で整えておけばいいのですから・・・。

愛する家族を大切に生きて死んでゆけば、そこに安らかな「空間」が生まれるでしょう。

そしてその安らかな空間は、誰かの心を癒し、この苦しみの多い世界にささやかなオアシスを残すでしょう。長らくお墓の仕事をしていますが、墓地にはそんな魂の休息所のような空間を時おり見かけます。

それは、きっと人生と言う長い旅を完成した安らかな魂の残してくれた木陰なのでしょう。

『親族の木陰は 涼しい』とお釈迦様も言葉を残されています。

夏安居のやまねこ(=^0^=)でした。