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『灰色の瞳』加藤登紀子 長谷川きよし

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)山猫山です。

ミュージシャンの仙九郎さんと『夢の里車座会議』設立をめぐって話し合っていました。

どのようにして砥部焼を夢の里で焼くか?というテーマなのですが、音楽教室の展開や

「青空砥部焼体験教室」「ドーム・ハウス事業展開」から「音楽イベントとアート・ワー

クのコラボレーション」まで、多岐にわたるブレーン・ストーミングです。

やまねこには、夢の里とべを初めての人に知ってもらうキーワードがあります。

それは、ふたつのおとぎ話=メルヘンと関係が深いのです。

ひとつは、「わらしべ長者」・・・そしてもうひとつは「金のガチョウ」です。

いつものように仙九郎さんにも話してみました。

「わらしべとミカンを交換した貧乏なお百姓さんが、最後には長者の屋敷をもらう話

は、実は夢の里の異空間を表してるんだよ。市街地で右のものはここでは左に、上のものは

下に、表のものは裏になるんだ。だから、ここではお金は木の葉っぱなの。わかるかな?」

確かにわらしべ長者のようなお話です。

「金のガチョウのお話は、夢の里の精神原理を表してるんだ。ハンスが森の小人にお弁当

を分けてあげたお礼に金のガチョウをもらう話はね、実は夢の里の空間が時代の嵐から

守られてきたことを表してるんだよ。ここでは、手に触れるものがすべて黄金に変化して

しまうんだ。それは、嘘が通用しないという厳しさでもある。精神原理とは金のガチョウ。

そのガチョウを求める人は、お金に目がくらむととたんに札束が木の葉っぱに

変化してしまうんだ。だから、ここに住むためには毎朝、般若心経をとなえなきゃいけないの。」

などと語らいながら、我が家の木魚がコンサートで、パーカッションに使えないかなと

仙九郎さんに提案してみました。

こんな奇妙な会話をしながら、ふと「夢の里とべ」という異次元世界に住んですでに二年が

過ぎることに思い当りました。

やまねこにとってはこの二年間はまるで数カ月のような感覚なのです。

夢の里での二年間は夢のように過ぎ去りました。確かに時空間がここでは異なっているのです。

時間の玉手箱は、2012年に開かれるのかもしれませんね。

        「黄金のガチョウ」 グリム童話より

『3人の兄弟がいました。ある日、一番上のお兄さんが森へ木を切りにいくと、小人があらわれてたべものをねだりました。一番上のお兄さんも、つづいて出かけた2番目のお兄さんもことわりました。一番下の弟だけは、べんとうをわけてやりました。すると小人は、おれいに金のがちょうをくれました。

 村の娘(むすめ)たちは、金のがちょうをほしくて手に入れようとしましたが、がちょうにふれたとたん手がはなれなくなりました。弟が町へむかって歩き出すと、出会った人はみんな手がはなれなくなり、後ろにじゅずつなぎになりました。

 町のお城(しろ)には、それまで一度もわらったことがないおひめさまがいました。おひめさまは、このきみょうなぎょうれつを見て、おもわずふき出しました。すっかり感心(かんしん)した王様(おうさま)は、おひめさまと弟をけっこんさせたのでした。』
                      

森の小人を助けたハンスは、黄金のガチョウをもらいますが、そのガチョウを抱いているハンスに

触れたものはみんな手が離れなくなるのです。絵本によっては、ハンスに触れたものはみんな黄金

になってしまう、というものもあったような気がします。そして、一度も笑ったことのないお姫様

をゲラゲラ笑わせて、めでたく結婚できるという不思議なお話です。

一度も笑ったことのない『内なる人間』を、黄金のガチョウを持った正直者の若者が笑わせる・・

これは、『魂の謎』を語るよく知られたメルヘンですね。

童話においては、お姫様とは常に高貴な人間精神の核心を暗示しています。あるいは、生死を越えた

永遠なる者を象徴しているのですが、では『黄金のガチョウ』とは何を意味しているのでしょうか。

また、触れるすべての人を黄金に変えてしまうとは?

魂の謎と世界の謎の間にある金のガチョウ・・・それは、自然界の精霊が授けてくれた知恵の形

なのでしょうか。そして、その『地球的叡智の形態』は、それに触れるものを最高の形式に変えて

しまうというのです。

未来型のビジネスは、自然界が与えてくれる叡智と共存できるものだということなのでしょう。

そのために大地のオルガノン、バイオスフィアの最高次の芸術形態としての人体が秘めている

叡智をまず学ぶことから、このビジネスを始めたいと考えます。

何故ならば、人体とはこの宇宙が数十億年をかけて育んできた芸術作品の最高の精華だからです。