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『サマー・ナイト・シティー』ABBA





はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこオカルティストでございます。

村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』を読み終わりました。

「マジック・リアリズム」とも言われる手法の小説です。様々な解釈や読み取り方

ができる村上さんならではのリアリズムでしょうか。

ふと三年前にこの作品の名前を聞いたころのことを想い出していました。当時、やまねこ

はライフ・デザイン研究所のドームハウスを大工さん達と建築中に高知県を訪れ、

ルドルフ・シュタイナーの研究者である高橋巌先生の講演を聞きました。

「5.11に四国アントロポゾフィー・クライスの講演会に参加してきました。
 
講師は、ルドルフ・シュタイナー研究の第一人者高橋巌先生です。

百名あまりの参加者がありました。

ここ数年、先生はシュタイナーの社会論に力を入れられておられるようです。

『わたしたちはどんな社会に生きたいのか?』と題された講演は、二時間半におよぶ

とても密度の濃いものでした。先生の講義のあまりの深さは、聞く人を「考えること」

にいざなわせる不思議な魅力がありました。また、不況が打ち続く中、様々な問題が噴出

する現在の世相もあってか真剣な面持ちの参加者の熱気にも感動しました。全員まるで息

を飲むような様子で聞き入っています。

『わたしたちひとりひとりが人生という道場で生きているのです。道場ですから理想的な世界

 ではありません。しかし、この道場で様々なことに出あいながら学ぶことができるのです。』

『わたしたちには、ふたつの体があります。ひとつの体は肉体であり、もうひとつの体は

 社会なのです。しかし、現代はこの体を実感することが困難な冷たい社会になっています。』

『村上春樹さんの「ダンス・ダンス」という小説は、シュタイナーの言う社会有機体について

 語っているような気がするのです。』

『雨宮かりんさんは全身で社会とぶつかりあいながら社会有機体と出会ってゆくような生き方

 をする人です。』

『労働とは本来、金銭を手に入れるための行為ではありません。人のために何かをなすことであり

 また、ひとから自分に必要なことをしてもらうことです。』

『ひとりひとりの精神生活が社会の魂、生命とつながっていることが社会のあり方を決定する

 のです。ですから、労働も精神生活が土台であり経済活動は人と人がつながりあうための友愛

 に基づくべきなのです。ベーシック・インカムはそんな経済社会のモデルを実現してくれます。』

などなど思わずはっとさせられるようなテーマです」

「僕」は、何度も同じ夢を見る、イルカ・ホテルの夢だ・・・それは数年前に訪れた札幌の

街のホテル。高級コール・ガールのキキとの出会い、その場所となったドルフィン・ホテルを

再訪するところから物語は始まります。

かつて、うらぶれた場末のホテルだったドルフィン・ホテルは、巨大な高級ホテルに変貌

しています。それは、現代の高度資本主義のシステムの象徴とも言えます。

そして、時空のほころび口から、かつてのかび臭いイルカ・ホテルに迷い込み、羊男という

謎の男に出会う。羊男は

「おいらはここにいて君を待っていたんだ。君はイルカ・ホテルに含まれているんだよ。」

「おいらはここにいて何かと何かをつなぐんだ。ちょうど配電盤のようにね。おいらにできる

 ことはここの番をすることといろんなものを繋げることだけだ。」

僕は「それでは僕はいったい何をすればいいんだい。」

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。
 意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。
 君は固まり始めている。
 ひたすら、踊るんだ。誰もが感心するくらいに上手に踊るんだ。」

羊男との出会い、写真家親子アメとユキ、コールガールのメイの殺人事件・・物象的な

リアリズムの裂け目から謎を追うミステリーに変化してゆくプロット。

殺されたキキと夢で再び出会い、キキは語りかける。

「あなたが泣けないもののために私たちが泣くのよ。
 あなたが涙を流せないもののために私たちが涙を流し、あなたが声を上げることが
 できないもののために私たちが声を上げて、泣くのよ。」

『わたしたちには、ふたつの体があります。ひとつの体は肉体であり、もうひとつの体は
社会なのです。しかし、現代はこの体を実感することが困難な冷たい社会になっています。』

わたしたちが失いつつある「社会という肉体」

私たちが失いつつある「魂の声」

イルカ・ホテルで何かと何かを結びつける羊男

硬直化し、高度にシステム化し、管理され、金銭化される無縁社会の中で押しつぶされてゆく

個人。

イルカホテルは、わたしたちが置き去りにしてきた「場所」なのかもしれないと思います。