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はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。

治療生活に入って早くも二週間。少し楽になりつつあります。明後日は胃カメラと腹部エコー

です。血液剤の一部をストップして10日たたないと胃カメラが飲めないためです。

お隣が心配して、お見舞いに来てくれたり、友人がお見舞い電話をくれたりしました。

有難いことです。

オカルティストのやまねこ的に言えば、これは「天籟」というもので、日々の食物に感謝し

天産自給の生活をしなさい・・・ということ。また、周りの人たちのサポートあっての暮らし

に感謝と報恩のシニア・ライフに移行しないということかな、と思います。

あいかわらず、日月神示を読んでいます。天変地異を予言する書のようにとられがちです

が、本来は日本人の精神生活の基本をやさしく説いた「おふでさき」のようです。

「大地の支え」あっての人間生活です。大変動期に入った日本と言う国の霊的な役割が

詳しく説かれた部分もあります。

「神示には第二次世界大戦に日本は負けるが、その後、急速な経済発展をする反面、魂の無い、こんにゃくの化け物のような人間達ばかりの国になってしまう。
そんな日本が暫く続いた後、TPPに参加することにより、日本は外国に乗っ取られたようになり、日本の経済も伝統文化も精神性も何もかもが外国化して日本が壊滅的な状態になってしまう。
・・・かのように見えた時、神権が発動し、神が世の中を立て直し立て替えるという事が書かれています。」

「神一厘の秘策」とは? 「鳴門と富士のしくみ」とは?

「弥勒の世にぐれんとひっくりかえる」とは?様々な謎の言葉が語られながら、神ながらとは

何かが発動することを暗示しているようです。天変地異や戦乱などに触れる部分も多いのですが

悪きこと待つ気は悪き気ぞ   

と終末論を戒めて

大難 小難に まつり変えてくだされ

と祈ることを勧めています。

やまねこは、実はこの神示に初めて触れたのは1991年の頃です。バブル期です。

「金で丸めて金でつぶすしくみ 出来上がっておるのざぞ」という予言に注目しました。

そのあと阪神大震災にショックを受けた時にこの神示が頭の中で点滅したのでした。

オウム事件の時も同じものを感じました。そして、今年の御嶽山の噴火の折も感じました。

御嶽山はこの神示の神とされる国常立大神の霊山とされているためです。この出来事を発端に

大きな時代の激動期に入ったことは、まず間違いはないと確信しています。

「出てきた時はぐにゃぐにゃぞ。こんにゃくぞ。」という言葉も気になります。

「高度成長やパブル経済が崩壊する時代から出てきた時は」という意味にも取れます。

金銭的価値尺度以外すべて失ったときにこんにゃくのような人間が残るというのです。

そんなことを考えていると、やはりもう一度「大地の支えの上で天産自給の生活」から

問い直してみようかなと思うようになりました。

心臓をこわし、肝臓をこわし、胃をこわしたあげくの結論なのでもう、迷いはありません。

迷うことなく「心ある道」を歩んでゆくこと。

残りの人生をオカルティストの道の成就に全霊をかけたいと思うのであります。