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どっとイブニング!(^^)! 四国もやっと梅雨明け、日よけのためのオーニングを取り付けました。

しばらく、ブログが書けなかったのは、実家の母がめだかを連れてプチ家出、我が家に4日間居候

していたため、自分時間が取れなかったのです。母のプチ家出は父がガミガミうるさいので、うっとうし

くなったそうです。よくある老年夫婦の問題でしょうが、歳をとると思うように体が動かなくなる、持病

がでる、などでイライラが募り、身近な伴侶に当たってしまう、当たられる方はたまらないので、言い返

してしまう。さらに、認知症でなくとも、脳の機能が低下するので理性のブレーキがききにくくなるの

で、口げんかになる。悪循環になってしまうのです。こういう時は離れてお互い1人になることです。

母は我が家のことを「こんな山の上なんかに住めんわい。退屈だし、寂しいやろ。」と日頃言っていた

くせに、思う存分、1人の時間と空間を楽しんでおりました。(私は日中は仕事で下界に行ってますの

で・・・)「山の上は朝が気持ちいいね、めずらしい鳥の鳴き声が聞こえるね。」とせっせと庭の手入れ

したり、家の掃除したりしていました。、「喉が詰まった感じがしてて、病院にいったら、歳だから

と言われたけど、喉のつまりがなくなったような感じがする、ストレスやったんかな。」と言い、

父も、「ばあさんがおらんけん、腹がたたんで良かった。」と本音か強がりか、両方のような気がします

が、言っております。1人になって、自己を回復することはとても大切なことかなと思います。

母が家に戻り、私も孤独時間復活でやっと日記を書くことができました。母が来てくれたいたおかげ

で、「梅干しの土用干し」ができたり、家もそうじしてもらったり、副産物はいっぱいあります。

今後もプチ家出と孤独時間、歓迎します。老後の生活、無理のないよう、上手に過ごしてもらいたいと

思っております。 

 きょうのやまねこ便はブログを書いて1000記事目のときのものです。

「水晶と音楽」   2009年6月30日   byやまねこ

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。

いよいよ1000記事です。淡々と二年間続けてきましたが、ブログを1000記事書い

てきたということはわたしがそれだけ孤独な人間だということなのでしょう。

コメントいただけると大変嬉しいものです。訪問いただいた方、コメントいただいた稀有

なる方々には感謝しております。

ブログを書くと言うことは、それだけでも人との関わりを求めているということですか

ら・・・・。

わたしは、最近思うのですが、孤独と言うことはとても恵まれたことなのではないかな、

ということです。現代では「孤立無援」と言って、孤独は弱者のあり方のようにとらわれ

がちですが、一面考える機会を得ているということ、自分自身と向かい合う機会を得てい

るという面ではかなり恵まれていると思うのです。現代では、誰もが他人や社会からの反

応に答えようといています。誰もが他者の視野の中で何かをなそうとしています。果たし

て、それは自分にとって良きものかどうか問うこともなく、他者との関係の中で「何者か」

でありたいと願うものです。

しかし、わたしたちは何者でもないからこそ「何者か」になろうとするのではないでしょ

うか。『千と千尋の神隠』の顔なしのようなあり方こそ、真実に近いような気がします。何

者でもないわたしこそ、本当の「わたし」なのではないかと思うわけです。

わたしは、何者でもなく、出会ったものを飲み込んで、金をばら撒き、飲み込んだ者の声

で話す・・・

そんなカオナシを哀れんだ千は、「銭い婆」のところにカオナシをつれてゆきます。

名前を奪われ、支配される立場は、カオナシも千も同じなのです。わたしたちは哀れむべ

きカオナシの自分をかかえているのではないかな。

わたしたちは、この抽象的社会に名前を奪われ、カオナシのよう金をばら撒きながら暮ら

しています。

そして「時間を支配する」システムと言う灰色の世界や効率と言う魔物に悩まされていま

す。

『金』とは、他者や社会が求めるものに唯々諾々と従う社会生活のあり方なのでしょう。

また、ゆとりを得るための努力そのものによってゆとりをなくしてゆく「影を食らう」存

在にも脅かされています。

もう一度、わたしたちは、千のように神々の湯殿で下働きとして働き、内なる声に従い、

ハクとの再会を実現したいと思うのです。それは失われた時間と神話の回復でもあるので

す。そんな願いと憧れは、どんな人の中にもあっても切実なものなのでしょう。

内なる世界・・・・そして水晶のような願いは、抽象と言うシステム社会を破壊する「熱

と愛の感情」で克服されるとやまねこ(=^o^=)は、信じていております。

これがブログ「千」記事目の感慨と言うことかな。