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「銅板納札」
「銅板納札の字を模ったもの」
「キリシタン石塔」
「お花地蔵」
「大山寺 本堂(国宝)」



どっとアフタヌーン(*^^)v だんだんと秋めいてきました。

今日は連休で、ゆったり、まったり、熱い日本茶をすすりながらブログを書いてます。

昨日、57番札所から52番札所のお遍路旅に行ってまいりました。

愛媛県の今治市から松山市の札所、6ヵ寺の参拝です。やっと私のホームグラウンドに

やってきました。雨の中の出発でしたが、バスを降りたら、青空が覗いて、最後は背中が

汗でびっしょりでした。

写真で紹介している銀色のものは「銅板納札」です。文字が薄く見えますね。

53番札所の円明寺にあります。

大正13年3月、シカゴ大学スタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来を

安置している厨子に打ち付けているのを発見し紹介されたものです。慶安3年(1650)の銘があり、

縦24cm、幅9cm、厚さ約1mmで、現存最古だそうです。江戸時代は紙は手に入らないもので、

銅板で納札していたようですが、銅板といっても庶民にとっては高価なものであったろうと

思われます。篤き信仰が感じられます。札所参りを「打つ」と言いますが、

(今回私は、「57番札所から52番札所まで打った」といいます)納札を寺のどこかに打ち付ける

ことからきているそうです。

この53番札所は住宅街にある小さなお寺です。札所と言えば広い敷地の、大きなお寺のイメージ

がありますが、このお寺は気配を消しているかの如く、ひっそりとしていて、

見落としてしまいそうです。

この円明寺にはもう1つ大事なものがあります。「キリシタン石塔」です。

太子堂の左の掘ぎわに高さ40cmの聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯篭があるのです。

キリシタン禁制の時代、この地域には信者が多く、隠れキリシタンの礼拝をここで行って

いたそうです。黙認されていた、その当時のご住職はどんな方だったのでしょうか?

この寺には、国宝や重要文化財など人目を引くものはありませんが、庶民の信仰という

目に見えない財産が継承されているように感じました。

最後の52番札所「太山寺」は小高い山の上にある大きなお寺です。

地元でも馴染み深く、小学生が遠足でよく訪れる場所でもあります。(私はこの寺で地獄絵図を

はじめてみました。)

登り坂の参道の脇は杉の大樹が並び自然豊かで散歩するにもすがすがしく、私たちも何回か、

ドライブがてら参拝しています。しかし、知らないことがありました。

参道をほとんど上がりきったところに大きなお地蔵さんがあります。「お花地蔵」(ひきさき地蔵)

というのだそうです。「お花という器量よしで働き者の娘が行儀見習いで、寺に奉公にきていたところ、

地主さんが目を留め、息子の嫁にと願ったそうです。しかし、お花さんには、いいなずけが

いました。興居島の漁師で幼馴染です。お花さんの両親は、娘の将来を考え、いいなずけには内緒で、

地主の息子に嫁がせます。それを知って怒ったいいなずけが、お花さんを奪いにいきます。

お花さんの手を引いて大山寺の山の上にきたとき、地主の息子の追手が来ました。

2人がお花さんを引っ張り合って、お花さんの体が真っ二つに引き裂かれてしまいました。」

憐れなお花さんの魂を鎮めるために村人がお地蔵さんをつくったと言われているそうです。

このお話は、「1つのことが完了してから、次に行きなさい。」という戒めのお話になっている

そうです。やまねこがいつも言っていました。「尻始末の悪いのはいかん!」

自然消滅なんてこともありますが、やりっぱなしだと気持ち悪いですよね。

1つづつ「完」の文字を打っていきながら、人生を進めたいものです。