イメージ 1

イメージ 2

「衛門三郎の里」
「文殊院」





どっとイブニング!(^^)!

今日は47番札所「八坂寺」の前にあるお遍路の里、「衛門三郎の里」を訪問しました。

ここのオーナーIさんはやまねこと20年来の友人で風流でアバンギャルドなシニアです。

10/7のお遍路旅で、店に出ているIさんとちょっと立ち話、時間もないので、また次に・・。

ということで、今日ぶらりと出かけてみました。

残念ながらIさんは午前中のプールでのリハビリで疲れて休んでいるとのこと。

頚椎症という病気でこの夏、2回転倒、骨折・入院と続き目下、リハビリ療養生活です。

奥様とよもやま話をしていると、お遍路バスが到着したので、お暇することにしました。

帰り道、今日はいつもと違う道を通ってみました。すると、小さなお寺が目に留まりました。

車を止めて、看板をみると、「別格霊場9番 文殊院」とあります。また、「四国遍路発祥の地」

とのぼりに書いてあります。

ここにあったんだ!ここは、衛門三郎の邸宅があったと伝えられる場所なのです。


この文殊院にはこんなお話があります。


「お大師さんが、伊予の国上浮穴郡荏原(現在の松山市荏原町)へ立ち寄られたとき、1人の童子が

現れ、『ここに罪深い人が住んでおります。改心させて来世の鑑(先達)にしてはいかがですか』

と告げると、何処となく去っていきました。すると、豪雨になり、お大師さんは徳盛寺に宿を請われ

ました。本堂でお経を唱えていると文殊菩薩様が現れました。先ほどの童子は文殊菩薩様の化身

で私を導き教えをくださったとお大師さんは悟られました。その後、徳盛寺を文殊院と呼ぶように

なりました。」

それから衛門三郎伝説です。


お大師さんは衛門三郎の8人の子供菩提供養のために延命子育地蔵菩薩と自分の姿を刻み供養され

ました。それが、本堂に祀られています。


また、衛門三郎が亡くなると、そのお位牌をもって文殊院に来られ、子供のお位牌と一緒に本堂で

衛門三郎家の悪い先祖の因縁を切るため、因縁切りの法を権修されました。因縁切りの法を権修さ

れたのは四国ではこの寺だけと言われています。


お遍路さんなら、1度は訪れたいところですが、なかなか来る機会もなく、この度、偶然見つけ

ました。般若心経をあげてお参りできました。

帰ってきてから、びっくり、衛門三郎の御命日は10月20日とされています。そういえば、

友人のIさんも「衛門三郎の里」をオープンしてから毎年御命日に法要をされていました。

なんだか、導かれてここにきた感じがしました。今日のやまねこ便です。

「生活図鑑 衛門三郎の里」2014.10.20 byやまねこ

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。

ドームハウスは、かつて数寄屋や草庵をしつらえ、美意識を洗練させていった茶人や俳諧人のような

住まい方もできるかも・・・と思っています。

季節のパッサージュとしての花鳥風月のドームハウスもあってもいいかも。

今日は、お遍路の里 松山市浄瑠璃町の八坂寺前の『衛門三郎の里」さんに僧侶の兄とtomokoさんと

訪問。四国遍路の発端となった松山市荏原町出身の衛門三郎さんの御命日の法要なのでした。

兄の読経、そして尺八の先生のYさんの演奏も奉納されました。

強欲で知られた衛門三郎が弘法大師に出会い、改心してそのあとを追って四国を巡り歩いたと伝承が

四国遍路開創の縁起だというのです。説話ではありますが、衛門三郎さんは実在の人物です。

この地で豪農を営んておりました。ある日、托鉢に訪れた旅の僧侶に喜捨を求められると

「お前に施すものなどない。」と言い放ち、鉄鉢を叩き割ります。

翌年から次々と衛門三郎の子供が不慮の死をどげて、八つの墓が並んだと言われています。

子どもを亡くし、悲嘆にくれた衛門三郎は自分がであった僧侶が弘法大師だったことを知り大師を

追って、四国を巡ります。

最後に力尽きて死なんとする時に弘法大師に看取られたというのが現在の十二番札所焼山寺と言われ

ています。

静かな読経と尺八の音色に耳を澄ませていました。

お遍路の里で、光明優婆塞 衛門三郎の菩提を弔う 深い秋

「衛門三郎の里」のIさんが、衛門三郎伝説の歴史資料のお話をされました。

奥様は庭で育てた様々な生け花用の花を分けていただきました。

うしろすがたの  しぐれてゆくか  山頭火