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どっとイブニング!(^^)!

昨夜より、久しぶりに梅雨らしい雨が降りましたね。

3年前に植えたスモモの苗も大きくなり、いつのまにか、実が成り、色づいています、

最近、私がモットーとしていることは「軽くなること」、世の中の流れが不穏であるからこそ、

逆に、お気軽気楽にいこうと思ってるのです。

今日は午後から、お気軽気楽の代表選手、やまねこの母に会いに行ってきました。

風邪をひいてしまい、90歳の義母への面会はしばし、見送っていたのです。

施設のスタッフの方が、私を指さして「この方は誰」と聞くと「私の娘」。

私が「やまねこの嫁よ。」と言うと「え~ 嫁」とlこういう調子ですが、1時間ばかり、おしゃべりを

楽しんできました。

義母「90歳にもなると、もうしんどいわい。」

私「まあ、そう言わんと、あと1年生きとこや。元号が変わるから、昭和・平成とあと1つ、

3つの時代を生きるんよ。高野山から延命箸買ってきたよ。ここまできたら、もうついでやろ。」

義母「お迎えが来んと逝けんよね。20年も育ててもらったんやから、命は大事にせんといかんよね。」

義母は赤ちゃんの時に里子に出され、旅芸人の養父母に育てられました。、貧乏ではあっても

それはそれは、大切に育ててもらっているのです。その恩は70年たってもしっかり心に刻まれて

います。日赤の看護婦だった義母は18歳のときに長野の軍の結核療養所に配属になり、結核を

患い、弱い弱いと生きてきた。それも90年も・・。姉たちは、「4人も家政婦がいたんだから」

と言います。家政婦とは4人の娘たち。姉たちが、義母の仕事を肩代わりしていたわけです。

そういえば、嫁の私からみても姉たちは母のような姉なんです。

義母は「良妻賢母」を諦め、ちゃっかりと、娘たちの助けを借りていたわけです。

私「ところで、父ちゃんは?」

義母「最近見んね、うるさいのが居らんけん、せいせいするわい。好かんタコ!」

義父は20年前に他界していますが、義母にとってはまだ、現在進行中の存在のようです。

それだけ、関係が濃いとも言えますが、大正生まれの義父は「地震雷火事親父」そのもの、

50年怒られ続けたので、「好かんタコ!」だそうです。この調子だと義父が迎えにきてもあっさり

振られてしまいますね。

義母に面会に行っても、スタッフの方達は、「お宅のお母さんとの会話はとっても楽しんですよ。

こちらが、声かけすると必ず答えてくれる。それが面白い。この前、24歳の若いスタッフと

笑い転げました。」と言ってくれます。いつもスタッフの方達から、声をかけてもらっているのです。

これはとっても、ありがたいこと。人出不足の介護業界では、必要最低限のことしかできないのが

現状です。知らず知らずに、自分の方に他人を引き付けている、なかなかの業です。

厳しい時代と環境の中を生き抜いた義母は深刻になるということがない。「さよか」という感じで

柳のようにしなやかです。

お気楽気楽なので、周りの人の気分がほぐれ、結果的には大事にされます。

私も、ばあちゃんに会いにいかないかんと思ったことはありません。そろそろ顔見に行くか

という感じで、Imusutではなく Iwantなんです。とっても楽ちん。

義母を見ていて思います。「お気軽気楽は生きる知恵」

新しい元号の時代を一緒に迎えたいと切に願っています。