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どっとイブニング!(^^)!

仕事がら、人の終末期のお世話をしているので、人間の「生と死」に関して考える

ことが多くなりました。

勤務先はケアハウスです。入居されている方の平均年齢は86歳。寝たきりの方はおいでま

せん。もちろん介護が必要な方もいらっしゃいますが、自分の意志を持って生活をされて

います。

87歳のOさんは食事量が減り、低栄養で胸水が溜まってしまいました。CT検査では

特に異常なし。「しんどい。」と言って寝ていることが多くなり、ますます食べなくなりました。

1か月前に本人に聞きました。「このままだと、どんどん弱っていくよ。入院して栄養治療

してもらおうか?」Oさんは「入院はいや。ここで静かに過ごさせてください。」と言われ

ました。

今は認知症が進んだせいか、幻視・幻聴が出てきて、Oさんとの会話は困難になってきて

います。家族の方も、本人の意思のままにというお考えで、積極的な医療は望まず、

主治医と相談し、栄養補助食品を使いながら、自然な形でターミナル・ケアをさせてい

ただくことになりました。

先日、知人と久しぶりに話をしていると、90歳を過ぎたおばあさんが胃ろうになって

意識もなく施設で寝たきりになっているとか。1年前はデイサービスを利用しながら自宅

で介護をされているとのことで、大変だけど、おばあさんはうれしいよね。なんて話をし

ていたのです。

食べられなくなって病院へ行くと胃ろうを勧められ、躊躇していたら、「見殺しにするんで

すか?」って医師に言われたとのことです。

介護現場にいる私からすると、90歳も超えた方に胃ろうは拷問のように思います。

胃ろうをすれば、痰があがってきて、痰の吸引が必要になります。

痰を切る力のない高齢者は非常に苦しいです。

終末期をいかに過ごすか?死生観をきっちり持ち、身近な人に伝えておく、他人任せにし

ないことです。

私は十数年程前に、終末期医療の母と言われたキュープラ・ロスの本を読み漁っていた時期が

ありました。

偶然、キュープラ・ロスの追悼番組をTVで見て、興味を覚えたのです。

死は蛹から蝶が飛び立つのによく似ていると語っています。

まさか十数年後に、自分が人の終末期のお世話をするとは思ってもいませんでしたが、

現場にいると、私も死とは「自分という存在の形態を変える」という感じを受けます。

決して死は敗北ではありません。

「生と死」を考えるにつれ、「わたしとは誰なのか」そして「わたしはどこに行こうとし

ているのか。」という人生の謎に向かい始めました。


「人間の観測~終末期」2013.5.10 byやまねこ

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこ夜話です。

終末期と死と医療をめぐって考えていました。

インフォームド・コンセント、ターミナル・ケア、クォリティ・オブ・ライフなどの

キーワードが終末期医療や介護について語られています。

人はいかにして死にいたるか?というテーマは人類普遍の課題とも言えるでしょう。

『死ぬ瞬間』や『ライフ・レッスン』で知られるキューブラー・ロスは死の二年前に

自伝的エッセイとして『人生は廻る輪のように』を書きました。

数多くの患者の死を看取った医師の自分自身の死を看取るための著作として世界中で

読まれたベスト・セラーですが、何故か日本でのみあまり知られていません。

医療予算超大国日本の不思議と言われています。

終末期医療の母と呼ばれたキューブラー・ロスの自伝とは・・・?

「「人生は廻る輪のように」 キューブラー・ロス著 (角川文庫)

エリザベス・キューブラー・ロスは、20世紀に大きな足跡を残した人物であることは確か

ですが日本ではそれほど知られていません。スピリチュアル・ブームであるにもかかわら

ずということでしょう。

そもそも「スピリチュアル」とは、キューブラー・ロスやマザー・テレサの活動をさして

言う言葉とわたしは思っていましたが、今の一般で言う「スピリチュアル」とはオーラの

泉やアロマ・セラピーなどメンタルなシェイプ・アップといういくらかファッショナブル

でミスティックな用語と化しているようです。

それほどまでに「スピリチュアル」は多義的で、曖昧模糊としたものなのかもしれませんね。

さて、キューブラー・ロスですが1970年代以降「死ぬ瞬間」以来、医師として患者の死の

見取り医療活動・・ターミナル・ケアのフロンティアとして著名なロスの手になる「自伝」

が本書です。

しかも死の数年前に書かれ、続く「ライフ・レッスン」は死の前年・・病床で書かれました。

河合隼雄氏と柳田邦夫氏の対談「心の深みへ」のなかでもロスについては多くのページを

割いて触れられています。

三つ子として生まれたロスは、アイデンティティに深く謎をかかえる少女として育ちます。

姉たちと自分がひとり孤立しているように思えてしまい、自分とは?という究極の問いにと

りつかれてしまうのです。

そして、長じて医師を目指し、女学生時代に大戦後ナチスへのレジスタンス運動との関わ

りから(彼女はポーランド系)アウシュビッツ収容所のガス室を見学し、象徴的な体験をしま

す。捕虜たちが寝起きしていたベッドに描かれた夥しい美しい蝶の絵を目にして衝撃をう

けます。人間は死に際して、蝶のように彼方に飛び立つ・・という原体験のようなものが

彼女の魂に刻みつけられるところは、とても印象深い。

やがて、医師となり患者の死に出会うごとに「生への謎」は「死への謎」へと変化してゆ

きます。

ロスは、「死を看取る医師」へと導かれてゆきます。数万人の看取りと死への理解がロスを

メタモルフォーゼさせてゆく、プロセスは、現代の介護医療、終末期医療のフロンティア

ならではのドラマティックな展開を実地に生きていると感じました。

そして、夫との不和、離婚。死の専門家に「別れの体験」はつきものなのでしょうか?

アメリカに渡り、当時全盛を極めてニューエイジ文化の拠点・・・カリフォルニアでの様々

な体験をします。

チャネリング、死者との交流、全体医療とのつながりなどなと火中の栗を拾うかのように

現代スピリチュアリズム/ニューエイジ文化の中で翻弄されるロス。

詐欺師のチャネラーに命を狙われたり、エイズの子供たちを保護して周辺住民から嫌がら

せや脅迫・銃撃を受けたり、ターミナル・ケアのイメージと程遠いほどにロスの人生は波

乱に満ちて、ドラマティックでさえあります。

そして、2004年、本書を書き終えてロスは「ライフ・レッスン」で人生のエッセンス

を総括して生涯を閉じます。ロスの葬儀では、最後に小箱に収められた蝶を空に解き放し

たと言われています。マザー・テレサとともにわたしが尊敬している人のひとりです。』

                          (スローリビング日記2006)

わたしたち日本の医療のホスピス・ケアも介護環境もキューブラー・ロス女史の遺産のもとに

あることを改めて思い知らされています。

「死を見つめる心」とは、とりもなおさず「いかに生きるか」という問いに導かれてゆく

のでしょう。

「わたしとは誰なのか」そして「わたしはどこに行こうとしているのか。」という人生の謎

と向かい合うことも一人一人の課題ではないかな、と思っています。