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どっとイブニング!(^^)!

台風情報を気にしながら旅支度です。

来週、大阪泉佐野市にある犬鳴山七宝瀧寺へ行ってまいります。

真言宗犬鳴派大本山で修験根本道場です。

残念ながら、瀧修業に行くわけではありません。(軟弱な私には無無、無理です・・・)

12年に1度の秘仏の「俱利伽藍大龍不動明王」さまの御開帳と「結縁灌頂」「一印灌頂」

があり、ご縁を結ぶために行ってまいります。

5月に高野山に行った際、高野山阿闍梨の宮島先生から「灌頂を受けることは、とても大切なことです。

日常に流されていると灯りを見失ってしまいます。灯りを再度確認するために灌頂を受けるのです。

僧侶も何度でも受けます。」と教えて頂きました。また、「一印灌頂」(ご縁を結びたい佛、本尊さまの

一印一明を授かる儀式)はめったにあるものではないそうです。

また、お不動さんとご縁が結べるのがうれしい。

私の信仰は、やまねこと出会い、生活を共にすることによって、日常の中で、自然発生的にできていった

ものです。四国の文化の1つである遍路旅に出かけたり、神社・仏閣に時折ぶらりと参拝したり、

毎朝勤行で般若心経唱えたり・・・。

病気をしたり、不幸があったりで信仰に目覚めたわけではありません。

やまねこが信仰のお先達さんだったわけです。

しかし、このやまねこというのは怒ったらそれはそれは激しく怖い人でした。

「外道じゃ!反省せんか!」と怒鳴られ2日間は炎がメラメラと燃えさかっていました。

しかし、3日目には元のやさしいやまねこに戻り、後日ほじくり返してぐじぐじ言われることは一切な

かった。怒りは激しいが、ばしっと断ち切る、まるで「お不動さん」のような人でした。

そんなやまねこも、幼少期、夢の中で怖い形相をした鬼のようなものが出てきてぎゃ~と叫んで飛び起き

ていた、それがお不動さんだったと後で判った。と言っていましたが、彼もお不動さんと縁が深い。

お不動さんは三鈷剣と羂索を持って力ずくで仏道に引き入れる忿怒尊です。

私もやまねこも「お不動さん」によって仏道に引き入れられたようです。

そんなわけで、「結縁灌頂」「一印灌頂」初体験、行ってまいります。=^0^=

「ブッダの道 森の瞑想」2009.6.11byやまねこ

はい、どっとこむにちは(=^o^=)やまねこでおます。

 先日、「愛媛・仏教と医療を考える会」のお世話人の医師 藤原先生から例会でインド旅行について

お話 をして欲しいとお誘いがあり、二つ返事で快諾しました。
 
春先のインド・ネパール旅行は、やまねこにとってきわめてモニュメンタルな出来事でしたので、

あらためて旅の思い出を噛みしめていました。そして、何故インドまで出かけていったのか?という

私自身のセルフ・ヒストリーを思い返していたのです。

 思えば仏教信徒となってなんと33年間が過ぎました。17歳からというと確かに一昔前の物語

ですね。
 
当時、まだいっかいの猫目小僧であったやまねこは、中村元さんの『原始仏典』とシュタイナーの

『いか にして超感覚的世界の認識を獲得するか』というテキストに出会ったのでした。

仏師をしていた父や住職 をしていた叔父の影響もあって、寺院の不動堂に日参してお祈りをしまし

た。

 何故不動堂だったのかというとわたしは、幼少期に村のお墓のお堂で祖母に育てられたため幼少期

に不動尊のお軸を眺めて過ごしたのでした。そのせいかよく夢にお不動さんが出てきてうなされた

ものです。

子供心にはとても恐ろしいお姿をしていますね。今でいえば夜驚症ということなのでしょう。

金色に輝く蓬髪の鬼のようなものに追いかけられる夢なのです。手には剣と縄を持っていましたから

 確かにお不動さんです。

 そんな幼少期のトラウマから、やがてそれが仏縁となり、仏様を信じるようになった青年期に信徒

となりました。あれから三十三年。

 死後三十三年たつと上げ法事といって、大きな節目の法要が営まれます。多くは親類縁者も晩年を

迎える 頃なので、大切にされるわけです。

そういう意味では、わたしも大きな節目なのかもしれないと思っています。

 ただ、ひとりの道を歩むこと。そして自らを灯りとして法を灯りとすること。
 
仏教は、ブッダの道を歩むことなのだと心新たに思うやまねこでおました。