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どっとイブニング!(^^)!
年明けから、肺がんステージⅣの父が入院、一昨日やっと退院にこぎつけました。
胸水が溜まってしまい、胸水を抜き、胸水がたまらないようにする胸膜癒着術という処置をして頂きました。
膠原病、骨髄異形成症候群と疾病を抱えていたため、2週間~1か月の予定の入院がかなり長引きました。
父は81歳という年齢と疾病があるため、抗がん剤等の積極的治療はできません。退院にあたり、在宅医療に切り替えるため、医師・看護師・ケアマネ等と何度かカンファレンスを行い、訪問診療・看護・機能訓練、状態が悪くなった時に入院できる医療機関等、きっちり体制を整えて頂きました。訪問診療をしていただける医師は自宅の近所にいらっしゃり、本当にありがたい状態にあります。地域医療のシステムが進んでいるなと実感しました。
家族としては、入院中の治療やケア、退院してからできるだけ在宅で過ごせるようにとの体制を作りなど、皆様に感謝の言葉しかありません。
が、残念なことに当の本人は勝手に話を進めていると不満だらけで、「治らない病を抱えている」と自分のことしか考えられなくなっています。「弱っていく自分、死を迎える自分」を受け入れられない様子で、少しでも思い通りにならないと、癇癪をおこし、母にあたります。職場に友人に話をすると、「そりゃそうでしょう。私の父もそうだった。今までできていたことができなくなるんだから、一番身近な人に当たるのよ」と言います。
数人の友人に聞いてみましたが、どうもそれが普通らしい。私は80歳にもなると諦めがついていてすべて手放している状態になれるのかと思っていましたが、そうではないようです。
癇癪をおこした時の父の形相をみていると、破壊のエネルギーに満ち溢れています。
周りも自分自身も蝕んでいきます。その根底にあるのは死の恐怖でしょう。
いつかは自分を開け放つ時期がくるのでしょうが、それまでは、相当の精神的な苦痛があるのでしょう。現代の医療は、緩和ケアも進み、肉体的苦痛はかなり軽減されますが、精神的苦痛は増大しているのではないでしょうか?これが、唯物論で生きている現代人の姿なのかもしれません。
オカルティストのやまねこは死の10日前に自分でfacebookに面会謝絶のお断りをUPしなめればならないほど、面会客が途絶えることがありませんでした。最後は胆管に癌が転移し、黄疸が出てドレーン手術をし、それでも点滴を引っぱってティールームで友人とお茶を飲んでいた人です。「しんどいだろうに自分のことは何も話さず、人の心配ばかりして・・・」と面会客の方が言っていたので、それをやまねこに伝えると「人のことを考えている方が楽なんだよ。」と言っていました。悪化している自分の病状に目を向けるより、「こうした方がいいよ。」と人のことを考えていく方に意識を転換していたようです。
やまねこは精神軸を崩すことなく、最後まで意識を保って旅立ちましたが、オカルティストして生きることはこういうことなのかと今改めて思いを馳せています。
また、年を重ねることによって、自ずと霊的になっていくのではなく、自ら意志しないとそうはならない。そのことを今、深く考えさせられています。