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父が他界して初七日が過ぎました。
6/1午前4時すぎ、自宅で家族が見守る中、息を引き取ました。
11月末に肺癌末期と診断され、15日に入院、胸膜癒着術という肺に水が
溜まらないようにする治療を受け、220日に退院、それから3か月余りの自宅療養生活でした。
膠原病と骨髄異形成症候群という既往症もあり、肺癌が原因というより全身の衰えでした。「しんどい」ということはいつも言っていましたが、肺癌特有の呼吸困難もなく、痛みも軽かった。吐き気などもなかったです。
医師が薬の調整を上手に行ってくれたので、父は最後まで頭も意識もしっかりしており、服薬管理を自分で行い、自分の体の調子を看ながら医師が処方してくれていた薬を飲み分けていました。
電動ベッドのリモコンも最後まで自分で操作し、楽な姿勢を自分で保っていました。
電動ベッドでギャッチアップすると、体が下がってしまいます。ベッド柵を持って「ちょっと待てよ」と言いながら、休み休み自分の腕の力で体を上に引き上げていました。
なにせ、介護者が80歳の母なので、父の体を持ち上げることはできません。父もいろんな面で相当な体力を使っていたのではないかと思います。
ベッド横にチャイムを取り付け、用があるときはチャイムを鳴らして母を呼ぶのですが、何せ頭がしっかりしているので、要望が多い。母も家事をしながら父の要望に応えるので夕方はへとへとになっていました。
訪看さんがゴールデンウィーク明けから、朝夕2回入ってくれ、父の身の回りの世話に加え2人の話を聞いてくれ、メンタル面でもとても助けてくれました。私も弟も休日は実家に帰りヘルプはするものの、父がだんだんと弱ってきて、母も心身ともに限界がきていました。6月から私と弟が交代で毎日実家に帰るよう段取りしていた矢先でした。
5/31は、弟が休日で実家に帰っていました。午前中、いつもと変りなく過ごしていましたが、お昼前に39℃以上の急な発熱があり、急変しました。医師が注射をしに来てくれ、しばらく落ち着いていましたが、「オ~イ」と父が呼ぶので行ってみると、身の置き所がない感じで、「爺さんはもう長くない」と母に言ったそうです。そんな時、丁度訪看さんが来てくれバイタルをチェックすると「娘さんを呼んでください」とのこと。午後3時頃に職場に連絡が入り、急遽実家に戻りました。前日は私が休日で1日父の傍にいました。「しんどうてやれん」と言い、食が進みませんでしたが、フルーツだけは食べてくれました。普通に話もしていたので、びっくりでした。発熱のため水分補給の点滴をしていた最中、父が突然、「体を起こしてくれ」と電動ベッドのリモコンを操作しました。
苦しそうです。看護師さんが「痰の吸引しましょうか?」と聞くと「してもらおうか」と父が返答。すぐに事務所から吸引機を取り寄せ、器官に詰まっている痰が少しだけ吸引できました。これが最初で最後の痰の吸引になりましたがこのお陰で、最後まで呼吸が楽でした。座薬を入れてもらい、静かに眠っていました。丁度座薬が切れる2030医師が来てくれました。
いつものように、父に「どんな?」と声をかけ、「しんどい」と父が返答。「今日は薬飲まんでええよ。座薬入れとくけんね。」と言って座薬を入れてくれました。「苦しそうだったら、連絡おし、診にくるけんね。」と私たちに声をかけて帰られました。それから、特に苦しそうな様子もなく、呼吸の音も間隔もいつもと変わらず、静かに眠っていました。3人で交代で仮眠をとりながら父の傍についていたのですが、母に交代してからしばらくして、「お父さん、息してないよ。」
びっくりして、「お父さん」と呼ぶと2回ほど最後の呼吸をしました。
安らかで穏やかな最期でした。
父は、昨年12月まで、車の運転をして買い物にも行き、弟と一緒に大好きな釣りにも行きました。飲食も亡くなる前日までできて良かった。何よりも最期まで、自分のことを自分で判断したのはいかにも父らしい・・・。
享年82歳。
 
老夫婦でがんばった3か月間、2人に寄り添い、万全なケアをしてくださった医師と看護師さん達、この方達のお陰で、父は最後の時を自宅で過ごすことができました。
只々感謝の気持ちで一杯です。