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どっとイブニング!(^^)!

今日は、大分からのゲストをお迎えしていました。
ご夫婦と3人のお子様のご一家です。
我が家とよく似た環境の山に3世代が集える別荘をドーム・ハウスで建てたいと
考えていらっしゃいます。
仕事や通学を考えると日常を過ごすのは無理があるため、週末を過ごす別荘プラン。
ドーム・ハウスといえば高級別荘のイメージがありますが、「ドームハウス愛媛」は
設立当初より、一般の木造家屋と変わらない価格でできるように取り組んできました。
なぜなら、四角い家か丸い家かの違いがあるだけで、木造建築であることには変わりは
ありません。

「丸い地球を四角く暮らすのではなく、丸い地球で丸くゆるやかに暮らす・・・」
四角い家という既成観念を破壊して、球体の中でスロー・ライフを試みる。
これが、スタートでした。そして、8年経った今、「地球で暮らしている」ことを
日々味わっています。

ご実家がシュタイナー幼稚園を運営されていらっしゃいますが、シュタイナーと
バックミンスターフラー、繋がっていますね。(笑)

最近、子育て世代のゲストが増えています。
これから育っていく子供たちに「地球型生活」を味わう器としてフラードーム・ハウスが
お役にたてればと願っています。

「なぜ、ドームハウスを建てたのか?」 2011.2.10 by やまねこ

はい、どっとこ・もーにんぐ(=^o^=)やまねこでおます。

思い起こせば、昨年の二月にフラー・ドーム・ハウスの基礎工事に入りました。

やまねこにとっては、念願のドーム・ハウスの着工でありました。なんと二十五年に

わたって青春時代よりあこがれてきたドーム・ハウスと言うオブジェクトの建設に

とりかかったのです。地鎮祭は自分でしました。夢の里の土地の神々の許しを得て

構築に取り掛かった方がよいと考えたのです。

そして、3月に建て前。6月末に完成しました。半分を施工会社にお願いするという

ハーフ・ビルドのスタイルをとりましたので130日間という期間がかかりましたが、

無事完成。現場には毎日通いました。そして7月には完成内見会を催しました。

さて、自ら工事に関わってまでなぜ、ドーム・ハウスにこだわったのでしょうか?

それは、私の自分史と深いかかわりがあります。

『今からおよそ、27年前学生時代の頃のことです。最近定番のお宅青年のハシリであったわたしは、今で云うスピリチュアル=精神世界にはまっておりました。
初期の精神世界は今のお手軽スピリチュアルとは違ってかなり緻密な思想性があります。アメリカのカウンター・カルチャーや哲学・科学思想、東洋思想、心理学や民族文化などを背景にオルターナティブなパラダイム・シフトを志向するものでした。
わたしが大学に入学した1980年は松岡正剛さんや横尾忠則さんがメディアに登場して、それまでの全共闘世代とは一線を画する個人主義、ポスト・モダン・アートや精神的なカルチャーの草創期でした。
予備校時代に仏教やシュタイナー、グルジェフなどの西洋オカルティズムと東洋思想に傾倒していたわたしは、松岡さんの出身校である早稲田大学哲学科をめざし入学しました。オタク青年よろしくナイーブかつ内向的なわたしは大学生活にも適応できず、ノイローゼに悩みつつも鬱々と神秘学の密やかな世界に浸っていたのです。

さてさて、そんな折、松岡正剛さんとならんで今も深く尊敬するおおえまさのりさんに出会いました。おおえさんは、70年代にニューヨークで映画作家として活動し、帰国後『チベットの死者の書』を翻訳し、当時「いちえんそう」というワークショップを手掛けるエコロジスト&アーティストさんでした。
おおえさんは、バックミンスター・フラー博士とその思想に深く共感していました。
ある時、フラー博士が来日するということで講演会に連れて行ってくれました。
フラー博士は、高齢で1983年の来日の翌年に亡くなりましたが、来日時も精力的にご自身の思想をとつとつと語りかけていたように記憶します。
フラー・ドームとの出会いは、その頃のことでおおえさんの紹介でフラー研究家の芹沢さんからフラーの思想の魅力を伝えられ、初めてシナジェティックスを体現する数学モデル ジオデシック構造体とフラー・ドームに触れました。当時、別荘用の輸入住宅として日本で初めて導入した会社は、エレクターでした。輸入総合商社エレクターは、フラー博士を招へいしたスポンサーでもありました。
そんな縁もあって、わたしは新宿のエレクターに日参して周囲の仲間たちにフラー・ドームの魅力を伝えることにハマりました。わけもわからず、それが自分の使命のように思われたのです。

エレクターさんに案内されて訪れた富士山麓のモデル・ハウスは直径18メートルもあるものでした。
アメリカン仕様なのですべてが大きめの開放的な空間を体験できます。オプションはバブル前夜時代を反映する高級キッチンやジャグジーなどが設置されていました。当時、晴海見本市の出品価格は
3000万円近くでした。

わたしのファナティックとも言えるフラー・ドーム・ハウスへの思い入れはそんな青春時代の出来事に端を発しているのでしょう。今でもこの二十年間に愛媛で出会った人と久しぶりに会い、ドーム・ハウスのモデル・ハウスを建てたことを伝えると『青春の記念碑の実現だね!』との返事が誰からも等しく帰ってきます。おそらく100人は下らないでしょう。明けても暮れても出会う人すべてにドーム・ハウスのことを語りかけていたせいです。

そうなのです。わたしは、フラー・ドーム・ハウスの地球型の住まいとそのコンセプトに取りつかれた「地球型人間」とも言えるものなのです。

丸い球体の住まいでスロー・ライフを試みる・・・・四角い家という既成概念を破壊して、
大地に足をつけた暮らし方は、ナチュラルでありながらも何処か未来的なもの、宇宙的な世界を
志向しています。フラー・ドーム・ハウスは、わたしにとってカルチャー・クリエイティブな
コンセプトのシンボリックなモデルとも言えます。

人間が道具を手にした瞬間から文明は生まれます。
それは、ひょっとして『2001年宇宙の旅』における類人猿が投げた獣の骨の進化した
形態・・・・ジオデシック構造なのかもしれません。
このドーム・ハウスのメッセージは人間は、未来に向かう動物なのだということなのかな?と
考えています。』というわけなのです。

やまねこの出会う様々な生活上のリアルな体験のはじまりは、ジオデシック構造との出会いが

深く関わっています。

ロハスな暮らし方を志向し、全地球的な感性を共振させ、心に描いた夢を実現するという

ことはとりもなおさず『地球型生活』というコンセプトにたどりつきます。

丸い地球を四角く暮らすのではなく、丸い地球で丸くゆるやかに暮らす・・・

フラー・ドーム・ハウスは、そんなライフ・デザインを楽しむ光と風の器なのでしょう。

                          やまねこ回想録