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「ロダン:地獄の門」「シュタイナー:人類の代表者」




どっとイブニング!(^^)!

夢の里の入り口のガーデンの梅が色づいてきました。新しい春の訪れですね。

今日は、今年の課題図書とした「自由の哲学」を読んでいました。

「自由」とは何かという問いが出てきたのです。

「おっとその言葉、わいに嫉妬しとるな」と夫のやまねこに言われたことがありました。

そう、私はやまねこを羨ましいと思っていたのです。

なぜなら、彼は自由な心を持った人だったからです。

勝手気ままということではありません。大正生まれの職人を父に持つやまねこは、

仁義礼には厳しく、折り目正しい人でした。

でも私はとても自由な人であると感じていたのです。

とにかく考える人でありました。そして、思考することをとても楽しんでいました。

以前シュタイナー教育をされているブロ友さんが、シュタイナー教育とは「自由な心を

育てる教育」とおっしゃっていましたが、私たちが心と呼んでいるものはどこから生じてくるのでしょう

か?

自由な心を持つ人は幸いです。自分も他人も活き活きとさせます。

私もそうありたいと思うようになってきたのです。

2,3ページ読むと集中が続かなくなり、休憩を入れながらゆっくりと読み進めています。

考えないと読み進めることができません。日常生活ではこういう哲学思考をすることはないので、どっと

疲れます。(笑)

シュタイナーの著書は雑念があったり感情に捕らわれていたら、1行たりとも読めません。

機織りをして、心身を調律して、本を開く。1年かけてじっくり取り組んでいこうと思います。


はい、どっとこむばんは(=^o^=)やまねこです。Byやまねこ 2009.1.20

いつものように年明けの初回四国アントロポゾフィー・クライスの『自由の哲学』読書会

に出てきました。クライスの活動もすでに三年目に入ります。講師のTさんの案内の下に

これまで『神智学』『神秘学概論』などを読み進めてきました。『自由の哲学』は、ルドル

フ・シュタイナーの初期著作ですが、シュタイナーに関わる人たちにとっては、重要なテ

キストと見なされています。本書はシュタイナーが霊学的な表現をとらないで人間の精神

活動の霊的な根拠と自由への志向を解き明かした本なのです。

私たち人間は、思考・感情・意志という精神活動を基本としていますが、思考活動の在り

方の中に自由な存在として運命付けられた人間の人間たる本質が秘められているというの

です。

講座を聞きながら今日はふと、ロダンの『地獄の門』を思い出していました。ロダンがダ

ンテの『神曲』の『地獄編』をモチーフとした彫刻です。様々な地獄の風景をレリーフに

描いていますが、中央によく知られた『考える人』があります。アダムとイブの堕罪、悪

魔などを描いた地獄の門の中心に考える人が座っているのはシンボリックかな、と思いま

した。人間にとっての自由とは苦悩と堕罪を前提としているのですが、それはアダムが神

の戒めを破って「知恵の実~リンゴ」を食べたからです。

このオリジナルな罪ゆえに人は、悪と罪と災いのあるこの世界に追放されたというのです。

しかし、それはまた「自由への扉」でもあったのでしょう。エデンと言う永遠の世界から

追放された人間は、知恵の実を食べた報いに苦悩と罪にまみれた生に投げ込まれましたが、

同時に「自由」も与えられました。自らの責任で生きることを課せられたのです。そして、

自由への根拠として「考える力」が与えられたと言うことなのでしょう。

ロダンの『地獄の門』には、ダンテの言葉が記されています。

我を過ぐれば憂ひの都あり、 
我を過ぐれば永遠の苦患あり、 
我を過ぐれば滅亡の民あり 
義は尊きわが造り主を動かし、 
聖なる威力、比類なき智慧、 
第一の愛我を造れり 
永遠の物のほか物として我よりさきに 
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、 
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ 

この作品は、ルドルフ・シュタイナーによって作られたゲーテアヌムの巨大な木彫・・・『人類の代表者』をほうふつとさせるものがあります。

やまねこ(=^o^=)でした。