イメージ 1

「庭の椿の花」

どっとイブニング!(^^)!
今年2度目の風邪がやっと抜けて、久しぶりのブログUPです。
先日、NHKでノーベル化学賞を受賞された田中耕一さんが、「血液検査で
アルツハイマー型認知症を早期発見」という番組をやっておりました。
現代人にとって、認知症は切実な問題です。
認知症発症を少しでも遅らせる薬の開発を期待したいということでしょう。
認知症は脳の劣化や損傷で発症するわけですが、脳も物質ですので、壊れていきます。
私も少しずつ壊れてきています。名前が思い出せなかったり、記憶力も抜群に低下しています。(笑)脳の劣化は致し方ないことなのです。

介護現場で認知症の方のお世話をしていて、痛切に感じることは、認知症の怖さとはその人の隠し持っていた本質が表に浮かびあってくることです。
私達は「理性のタガが外れる」という言い方をします。
物が無くなった時、「そのうち、出てくるよ。」と無くなったことも忘れる方は、物に執着のなかった方でしょう。「○○が盗った」と言う人は他人に対する猜疑心の強い方でしょう。
気に入らない人がいたら、暴言を吐いたり攻撃したりの方は、寛容な心がない方でしょう。
しっかりしていた時は、お愛想言いながらどこかで、イヤミ言ったりしてたのでは?
逆に友人のお父様は「早くせんか!何しよるんぞ!」と家族に怒ってばかりいたのに、認知症になると「そこ段があるから気をつけよ、大丈夫か」なんていたわりの言葉が出るようになったそうで、腰抜かすほどビックリしています。昔人間なので、照れ臭くてやさしい言葉をかけることができなかったのでしょうが、本質はやさしい方なんですよ。
良きにし、悪しきにし、認知症になっても自分の本質は消えません。取り繕うことができなくなったり、抑えがきかなくなったりして表面化するのです。
自分の内にないものは浮かび上がってこないと思います。
椿の木から薔薇の花は咲かないのと同じです。
 
最近、認知症状は人格的な問題と絡んでとても複雑やっかいになってきていると言われています。
認知症になることを恐れるよりは、今の自分の考え方や心の在り方をしっかり見つめて「清く、正しく、美しく」あろうとすることが大事かと思います。
認知症になることは致し方ないにしても、その時どんな自分が出てきているかは、己の人生を問われているようで、そのことの方が私にとっては重大です。

トンチンカンなことをやっても、3分で物事を忘れても、清い心で明るく朗らかでいれば、周りの人から好かれます。

介護現場からのレポートでした。