「ドームハウス愛媛」
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はじめに(一部抜粋)

このわたしたちのいのちの世界は、太陽や大地や草木虫魚たちのいのり(スピリット)に、恵みに支えながらつくり上げられてきた。このいのちしかり、この生命の糧しかり、そこには贈与や相互依存、あるいは互いに溶け合う円融の物語がある。贈与のエネルギー論、贈与の経済学―よみがえるための、贈与の文明の物語。


そして自然から未曾有の大災害を受けながらも、最終的にわたしたちの魂が救われるのは、自然において他ならない。大災害の中で、深い無常観に襲われ、諸法(すべての存在)の無我(実体の無いこと)

を突き付けられる。だがなおそこに悠久な、わたしの糧としての自然がある。

わたしたちは自然の懐において育まれ、海のそこには、生命の歴史が語るように、

わたしたちのふるさとがある。魂がやってきて、再び魂が還ってゆく永遠のふるさと、

そここそは魂の原郷としての、自然そのもののカミの原初の物語があるところである。

わたしたちはもう一度、自然という宇宙を前にして、直接無媒介に、己の魂の解き開いて、

わたしを、わたしの物語を尋ねなければならない。わたしが、世界が在るということこそ、最大の神秘であり、奇跡であるのだから。生きるというのはこうした物語の探求であり、その物語によって、はじめてわたしたちは、生と死を渡っていくことができる。

生と死を渡り往くことのできない現代の社会、それはこの物語―生と死にまつわる魂の、スピリットの物語―の喪失にある。

わたしの内にスピリットの物語があるばかりでなく、わたしたちは、スピリットとしてのわたしなのだ。そして夢が夢見られ、物語が語られる。

わたしたちは今、草木虫魚のいのりに満たされた新しい物語(そしてそこから生み出されてくる文化や文明)を語りだすことを求められている。世界を、わたしを、花粉の中心(生の想像の只中)に顕し出し、自然そのもののカミに支えられた自立して協同する新しい社会の夢を実現していくために―。



8月の初めに取り寄せたこの本を繰り返し読んでいる。

私の中の雑念が沈黙し、静かになる。そして、日常の中で固くなった魂の一部が溶け出し、安らぎの中で何か底知れぬ懐かしかを感じる。表象の洪水の中で忘れ去られていたものを思い出しているのだろうか。

 

ことば

言葉は魔法である。言葉(ロゴス)は精神(ロゴス、言霊)であり、言葉を発する度に、世界は生み出されつづけている。魔法のごとく、世界は言葉だからだ

 

そう、この書は「魔法の書」である。魔法のことばがつづられている。

わたしたちがが生きているこの地球・この社会、そしてスッピリットとしての己のために読んでおきたい本だと私は思う。