
今日は我が家で「ババ会」が開かれました。
ババ会メンバーは母(77歳)M叔母(75歳)A叔母(72歳)の三ババトリオです。
ここ夢の里の梅を見にきたのです。持ち寄りのおかずに焼きそばをプラスしてのランチをみんなで
一緒に・・・。うちの母を筆頭にババ達は気ままです。
話の途中に叔母M「見てみて、あの鳥かわいい!あんな鳥、うちの近所では見かけないわ」と
しばらく鳥に見とれ、母「種持ってきたんよ、庭に蒔いてくる。」私「なんの種?」
母「なんの種か忘れた!」庭にでたかと思うと、「つくしがでとる!」という声に三ババ達は
少ししかでてないつくしを摘み取り、それからA叔母はこたつでごろり。
「次は桜見に来るね」と言って帰っていきました。ババ達の年齢になると、過去を後悔しても
しょうがない諦めがあり、未来はさらに年老いていくばかり、考えたくない!
今を生きるしかないわけです。お蔭様で三ババ達はあちこち故障はあっても元気なので、
どっしりしています。反射神経、頭の回転鈍っているので、自ずとスローモードです。
めんどうくさい人間関係もある程度ご卒業なので今の時空間を楽しんでいるように見えます。
今日は何を話したっけ?というなんでもない時間でしたが、ババ達とゆったり過ごす時間は
大切ですね。「スローライフ」に立ち返りました。
「スロー運転開始」 2008.1.5 byやまねこ そもそも、ブログを始めたのは、スローライフとはわたしにとって何なのか?という素朴な 疑問からなのですが、この半年間多くの方々との出会いを通していろいろとヒントや学びの機会 をたくさん頂いたことを深く感謝する次第です。よく言う「急がばまわれ」というのは、 シンプルな真理であることを痛感する半年間だったような気がします。これは普通、急いではこと を仕損じる・・と並び語られることなのですが、メンタルには別な含みを持った言葉と思うように なりました。それは、わたしたちは過去にも未来にも生きることはできないということ。 過ぎたことは二度と帰らないし、未来は現前していないという意味では架空であること。 そして、さらに時間の流れに対してわたしたちは遅くも早くも生きることはできないという ことです。明日を望んでも時間の経過を待つ意外に方法はないのです。 いいかえれば、時間とともに生きることがわたしたちの宿命ということでしょうか? しかし、人はしばしばこの宿命を忘れて過去や未来にとらわれるものです。 時に後悔し、ときに焦りや不安にとらわれます。 そんなときは、どうすればいいのでしょうか? 時よりも早くも遅くも進めないことを素直に認めることがわたしたちを過去と未来という 心理トリックから解放してくれます。 淡々と現前の今を生きることに導かれるのです。 それをひとまず「スローに生きる態度」と呼びたいと思います。 確かにメンタルには過去も未来も架空の時間にすぎないという面があります。 架空の時間を捨てるとは、未来からも過去からも干渉されない今に留まることとも言えるかも しれません。 そして、ありのままの自分だけを見つめること。理想の自分でもなく、人に期待されるわたし でもなく、義務でも未完成な自分でもなく、ただそのままのわたしでいれば、時間はわたしと ともに流れてくれます。これもまた、架空のわたしを捨てるということかもしれません。 スローな自分とは、いわば「自分勝手に」ひとりのわたしでいることなのかもしれませんね(^@^)
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